top of page
検索

なぜ、初心者の手刀は私の頭に当たったのか

執筆者の写真: 無刀会 合気道
無刀会 合気道
22 時間前
読了時間: 2分

私が初段を取って間もないころのことです。


初心者クラスで白帯の方と稽古をしていたとき、相手の手刀がまともに私の頭に当たったことがあります。


なぜ当たったのか。


相手が間違えたからではありません。私が先に動いていたからです。


形稽古では、どのような攻撃が来て、それに対してどう動くのかが、あらかじめ決まっています。私はそれに慣れてしまい、相手の攻撃をきちんと見て動くのではなく、「次はこう来る」と決めつけ、手刀が振り下ろされる前から体を動かしていました。つまり、予定調和の動きになっていたのです。


ところが、稽古を始めて間もない人の反応は素直です。私が先に動けば、そこにいる私をめがけて手刀を振り下ろします。そして、見事に当たりました。


有段者同士の稽古では、こうならないことがあります。相手が少し早く動いてしまっても、「本来ここにいるはずだから」と、元いた場所に向かって手刀を振り下ろしてくれる。言ってみれば、「手順どおりに、やられてあげる」わけです。


お互いに形を知っているからこそ、不正確な動きを無意識のうちに補い合ってしまうことがあります。そのおかげで技は滞りなく進みます。しかし、滞りなく進んだからといって、正しくできているとは限りません。


形稽古は本来、「生死を賭けた実戦」を想定した合理的な動き、つまり理合を学ぶためのものです。ところが当時の私は、手順や段取りが決まっていることに甘え、相手と向き合う緊張感や真剣味を欠き、いつの間にか形だけをなぞる稽古になっていました。


初段になり、少しは合気道ができるようになったつもりでいたころです。そんな私の慢心に気づかせてくれたのは、難しい技でも、先生からの言葉でもなく、初心者の素直な一振りでした。


今でも、師範が技を指導される際、入門して間もない初心者であろうと、子どもであろうと、有段者であろうと、相手によって少しも姿勢を変えることなく、常に真剣にその攻撃と向き合う姿を目にします。


そんな真摯な姿を見るたびに、「自分も、もっと真剣に稽古に向き合わなければ」と思わされます。



道場で2人が合気道の稽古をしている。

 
 
 

コメント


bottom of page